耳をすますナツメグ

だれもみてない、ほら、いまのうち

赤ちゃんってかわいいね

自分が産む前は赤ちゃんってなんかこわいと思ってた。まずどうやって扱っていいのかわからないし。さわってもいいのかさえわからない。なんかすぐこわれそうだし。人間なのにわたしの知ってる人間とは違う。小さくて熱くてぐんにゃりしてる。いつなんどき大声出して泣きだすかわかんないし。自分がうっかりだっこしてるときに泣きだしたらどうしよう。絶対落とさないように気をつけてるけど、人智を超えた何かが突然発生して傷つけてしまったらどうしよう。とか、とにかくこわいしかない。近づきたくなかった。

それなのにいつのまにか赤ちゃんを産んでいた。いやいつのまにかっていうのはおかしい。産まれる前にお腹に赤ちゃんがいることは気づいていたんだから。でも本当に自分の股の間から人間が出てくるのを見たときは、知ってたのにびっくりした。あ〜、こんなかんじで出てくるのか〜、と思った。助産師さんは、落ち着いた表情を保ったまま、「いきみ」を促し、わたしのおしりの穴を押さえながら、さまざまな医療行為を実施し、子を取り上げてくれた。本当に神のように見えた。おかげで病院では他人におしりを見られることに全然抵抗がなくなった。

赤ちゃんっていう呼び方もかわいいですね。生まれたてで皮下脂肪が少なくて、全身が赤色っぽいから赤ちゃん。人はちゃん付けをして呼ぶと親しみがわく。みっちゃんとかよっちゃんみたいに。生まれたての子は最初の一週間くらいは名前がなかったので、ニックネームみたいに赤ちゃんって呼ばれていた。3ヶ月経った今では体重が倍くらいになり、皮下脂肪がついたのでもうあんまり赤くない。でも、ムチムチのりっぱな手足がいかにも「赤ちゃん」って雰囲気を醸し出している。

だっこするのは相変わらずこわい。でも毎日何時間もしていれば慣れる。自転車に乗れるようになったのと同じ。危険なのは変わりないけど、体が覚えているのでもう考えなくてもできる。小さくて無力な人が、安心しきってわたしに身体をゆだねている。わたしはそんな良い人間ではないのに。わたしのさじ加減ひとつできみの命はどうにでもなってしまうのだよ。そう思うとこわくなって、自分の意思で自分が制御できなくなったらどうしようとか思い始めてしまう。そう思ってると頭が混乱してくるから、深く考えないようにする。いつもと違うへんなことはしないように。赤ちゃんの不快が少しでも取り除かれるように。それがわたしにできることなのであれば。

ふっくらほっぺに半分以上が黒目のひとみ、体じゅうどこをさわってもすべすべでふわふわ、日に日にのびていくまつ毛、歯がないせいでちいさく引っこんだ顎。「へーう」とか「はう」とかいうかわいい声。幼さの記号がかたまりになってずっしりと腕の中にある。まだ複雑な感情がないはずなのに、次々といろんなおもしろフェイスを繰り出してくる。目が合ったとき、「おはよう」と声をかけたとき、ニコーッとうれしそうに笑ってくれるのは言わずもがな。びっくりしたときにいちいち手足を振り上げて芸人ばりのリアクションを取るのもかわいいし*1、こんなことを言ったら鬼のようだと思いつつ、泣きだす瞬間の顔もおもしろい。眉間にしわ、口の形は「へ」、体に力がぐっと入って、全力で泣きます!というかんじなのだ。そして玉のような涙の粒がなめらかなほっぺたを滑っていく。わーすごいな、わたしもこんなふうに泣けたらな、と思う。そんな余裕のあるときは。

うんちをするときにいちいち「んー!」と大声を出してりきむ顔をするのもかわいい。毎日何回も出るときすらあり、便秘の母からすればうらやましさしかない。乳の製造に水分を使っているからなのか、妊娠中よりさらに便秘になった。でもお腹の中の人がいなくなったから、腹痛のときは何も気にせず腹をぐいぐいマッサージできるのはうれしい。それにしても、生まれる前は「わたし、ちょっと潔癖なとこあるし、おむつかえとかちゃんとできるのかな??」などと不安に思っていたが、いざやってみると赤ちゃんがうんちするのがこんなに嬉しいとはね。ウンチウンチと口に出して言うことにもすっかり抵抗がなくなった。

この世界に来てまだ3ヶ月の赤ちゃん。まぎれもなくひとりの人間であり、ひとつの命なのに、本人にはまだ自他の区別もついていないというのはふしぎだ。わたしはこの赤ちゃんを自分とは別のものだと知っているから、かわいいかわいいと言えるのだけど、今のこの子にとって世界とは何なんだろう。どんなふうに見えていて、どんなふうに感じているんだろう。

わたしはまだこの子がどんな特性を持っていて、何をして親をよろこばせ、何をして親を苦しませるのか知らない。ある日には何もかもがスムーズにいって、わたし、育児、いけるかも!!と思って調子に乗る。次の日には、たくさん泣かれて家事もできず困り果てる、そんな繰り返し。できることが増えるごとに悩みも増えていくのだろうけど、いまはいまにしかない暮らしを覚えていられたらいいなと思う。いつのまにかうちの赤ちゃんが赤ちゃんと呼べなくなる日まで。

 

*1:モロー反射というらしい。新生児限定のもので、もう今は無くなりつつある