耳をすますナツメグ

だれもみてない、ほら、いまのうち

ほんとうはドレスと口にするのすら気恥ずかしい

結婚に伴ってわたしが催さなくてはならない諸々のイベントを考えたとき、結婚披露宴は憂鬱の最たるものだった。だが一方、ドレスだけはなにがなんでも着てみたいという気概だけはあった。

 

ドレスはわたしの憧れだ。いつからこんなことになったのか。間違いなく中学生の頃ではない。制服のシャツに結ぶリボンが恥ずかしくて、男の子みたいにブルーのチェックのシャツをTシャツの上に重ね着していた中学生の頃ではない。あのころは、ファッションとは選ばれた特別な女の子たちだけのものだと思っていた。他人にどう見られるかより、自分が着ていてしっくりくる服を着ていたい。そしてその思いはいまでもあまり変わっていない。いまでも、背のびをして着てみたことのない服に袖を通してみることは、あまりしない。

ディズニーの中で好きなキャラクターは?という問いに迷わずプリンセスたちの名をを挙げる女の子たちに、自分とは違う人種だと感じた高校生の頃でもない。わたしにとっては、ディズニーキャラクターといえば動物を擬人化した彼らのことなのであり、プリンセスはただの物語の中の役割にすぎなかった。 『リトル・マーメイド』のアリエルや『美女と野獣』のベルのグッズを自分の分身のように持ち歩く同級生たちに、ほとんどカルチャーショックと言って良いほどの衝撃を覚えた。ちなみにわたしが好きなディズニーキャラクターは、はちみつ大好き・くまのプーさんです。

 

偏った自意識を持つ思春期を通り過ぎ、いつのまにかわたしはスカートを履くOLになっている。好きな洋服のブランドはアナトリエ。控えめだけれど可愛らしくて、やわらかい雰囲気のブラウスやスカートを多く置いている服屋さんだ。繊細なレース、細かい草花のプリント、淡くてさわやかな色味の展開、ころんと丸いボタン、隙あらばウエストや袖口にくっついている小さなリボン、パールの付いたニット、ふんわりと身体を包むように作られた洋服のシルエット…。

結婚前の両家顔合わせのときも、配偶者の実家を訪れたときにも、アナトリエの服を着ているときがいちばん落ち着いた。やさしい風合いのスカートとふんわりとした毛のニットは、仕事中も不必要にわたしを締めつけることなく寄り添っていて、ふとトイレに立って鏡を見た瞬間にも安堵をもたらしてくれる。お休みの日のお出かけには、Aラインに広がる形のかわいいチェックのスカートで足取りも軽やかに。かわいくて、着心地の良い洋服はわたしの最高の相棒だ。

 

スカートを履きはじめたのは、他人に見られるためだった。少女漫画のような恋愛に憧れるのに、友だちのようにしか付き合えない異性。会社という場所になじむためのオフィスカジュアル。思い込みに縛られて、似合わないパステルカラーのアンサンブルニットや、春なのに季節感のない厚ぼったいスカートを履いていたこともあったけど、自分がかわいいと思う服を着ればいいだけと気づいた瞬間、全ての止まった時間は動き出したようだった。

少しずつ他人の着ているものにも関心が向くようになりはじめたとき、わたしは花總まりさんという憧れの女優さんに出会った。宝塚のトップ娘役を12年間ものあいだ勤め上げたあと、近年も数々の舞台作品に出演している彼女は、マリー・アントワネットオーストリア皇妃エリザベートのような身分の高い女性の役を演じられていることが多い。可憐なドレスを着ていても、身を落として肌着のような質素な衣服につつまれ涙に暮れていても、二十億光年の星のような孤高の雰囲気を漂わせている彼女を見ていてはじめて、わたしはプリンセスに憧れていた同級生たちの気持ちが分かった気がした。

微笑んで広げた両腕のシルエット、ふいと横を向くときにかすかに揺れるドレスの裾、早足で歩き去るときにさえ優雅な余韻を残すような後ろ姿。彼女の佇まいは鍛え上げられた肉体とたゆまぬ努力による特殊技術の結晶だとは分かっていても、すこしでもあの人に近づきたい、うわべの形だけでもいいから花總さんみたいになってみたい、という思いが湧く。

 

わたしが一生でドレスを着る機会などもうこれっきりないだろう。ウエディングドレスのレンタルショップへ試着に行くたび、こんなに胴をしめつけられながら腰に重たい布を幾重にも巻き付けて、歌ったり泣いたり笑ったりしている花總さんのことを考えてしまう。彼女の存在を知らなければ、着心地の良い衣服の中でぬくぬくと包まれたまま、ドレスを選ぶ楽しみを知らずに終わっていたかもしれない。単に着るものを替えただけで憧れに近づけるとも思わないけれど、カタログからピンときたものを選んで試着を重ねるたび、わたしの中に隠れていた「好き」という気持ちがどんどん引き出されていくのが楽しい。わたしの好きなものは、わたしの知らないうちにわたしの中の宝箱に隠されていたのだ。女の子らしいものは自分以外のためにあると思っていた中学生の自分に、いつかその箱を開ける日のことを教えてあげたい。