耳をすますナツメグ

だれもみてない、ほら、いまのうち

34歳、絵本とのふれあい

今週のお題「絵本」

 

ずっと書きたかった絵本の記録。だけど、子どもの感想は結局子どもの感想なのであり、わたしの感想ではないので何を書いたらいいのやらむずかしく、なんだかんだで「子どものおかげで自分では選ばなかった絵本を読んだ34歳わたしの感想」になってしまった……
なので子どもに読みきかせるのにおすすめの本を探してる、という方には参考にならないかも………


3歳児の意外な選書

にげだしたひげ

最寄りの図書館の絵本コーナーは基本背表紙を向けて並べる形になっており、文字のよめない幼児にとっては自分で本を選ぶのがなかなか難しいつくりになっている。それでも何度か通っているうちに「このあたりの棚にはおもしろい本があるっぽいかも」と本人なりに気づいているようで、いつも真っ先に見に行ってはそのあたりからランダムに何冊か本を引き出し、中を見て選ぶという感じ。

この『にげだしたひげ』もそんなふうにして出してきた一冊。

おじいさんのひげがある日突然意思をもって好き勝手にのびはじめ、村の人々や森の鳥や動物たちをぐるぐる巻きにして大変なことになったが、ある女の子がひげの先をかまどで燃やすとちぢれて短くなり、ヨカッタヨカッタとみんな踊るという話である。3歳児にどこが刺さったか不明だが、借りた後も気に入って何度もよんでいた。

スリランカの民話らしいのだが、訳者経歴を見ると「8歳のときにシンハラ文字に興味を持ち、…」とあり、これまた気になる。でも試しに検索してみると確かにシンハラ文字って8歳児の興味をひきそうなビジュアルかも。

 

はずかしがりやのおつきさん

これも『にげだしたひげ』の近くにあった。きれいなお月さまを子どもたちが見ていたら、お月さまが恥ずかしがって隠れたので、月明かりで手紙を書いていたロバのロシナンテがブチ切れ、怒られた子どもたちが眠ると、また月が出てきたのでロシナンテとお月さまが喜んで踊る、という話である。雰囲気からして海外の絵本かと思っていたら日本の作者だった。物語の最後に踊るのは海外という先入観がある。

夜のおはなしだからなのか、「青の時代」みたいに全体的に青で統一されていてちょっと通好みな空気が出ている。特にロシナンテのブチギレシーンなど歯がむきだしでけっこう怖い気がするのだが、これも子が自分で選んだからなのか気に入っていて何度もよんだ。

もしかすると、子ども目線で特に教訓めいたものがないのがいいのかもしれない。(むしろきれいな月を見ていただけなのに怒られるというのは不条理である)

 

母が泣いた絵本

こんとあき

これは完全にわたしが林明子さんの絵が好きで選びました。1ページ目から泣き、最後のページでも泣く。ぬいぐるみのこんが空っぽのかごを前にしている絵とともに「こんは、あかちゃんをまっていました。」っていう一言は、何回読んでも胸がギューっとなる。

このお話はあきのおかあさんが全然出てこなくて、子どもが無自覚なままに親から離れ自立しつつある道にぬいぐるみの〈こん〉が寄り添っているのです。あきにとっての〈こん〉の存在のかけがえのなさと、もしかしてあきは大人になったら〈こん〉のことを忘れてしまうかもしれないのだ…ということを同時に思い、涙腺ゆるゆるおばさんは泣いてしまうのだった。

~3歳児の反応~

電車ごっこをしているときに、お弁当を買いに行ってドアに挟まれちゃった小ネタを入れるとウケる。

 

絵本どこまで買うか問題

さて、我々は基本図書館で絵本を借りているのですが、よほど何度か借りるほど気に入ったものは買います。

図書館ではたしかに何もかも読める。だけど子どもたちに愛された本ほどページがやぶれたりぼろぼろになっているのは絵本の宿命…。となると、どうしても新品の本が欲しくなってしまうんですよねえ。

作者それぞれの趣向を凝らした物語世界の結晶の美しさ、当たり前のように全ページカラーだし、あざやかな発色、上質な紙、つやつやの表紙、表紙裏のイラスト、時には作者紹介の隅々までこだわったお楽しみコーナー。手元に置きたいと思ってしまうのはコレクター癖の悲しいさが……

 

それにしても、主体は子どものはずなのにレジに行くのは親なわけで、結局親が決定権・選択権をもつのも悩みどころ。なぜかシリーズものとかロングセラーばっかりになっちゃう。それこそ自分の子ども時代以前から読まれているような。多分これって失敗したくないから、なんですよね。

ロングセラーを読むと、毎日毎晩何度も何度も声に出して音読し、子どもたちの興味を惹き続けるだけの魅力があると感じるのは確か。文にせよ絵の味わいにせよ。

それでも先に書いた『にげだしたひげ』みたいな思いがけない絵本との出会いも経験すると、親の知ってる絵本だけ買うのは何か、狭まっている感じもしてしまう。

 

本当は気になった本ぜんぶ買いたいけど、きりがないのでどこかで線をひかないといけないんですよね。それが悩ましい。って大人の本と同じことを悩んでおるが……

 

それでも買った本

11ぴきのねこマラソン大会

「11ぴきのねこ」シリーズのなかでも他の物語と違い、じゃばら式に折りたたまれた長い一枚の紙に、11ぴきのねこのマラソン大会の模様がこまごま描きこまれている。文字はない。絵巻物や屏風絵のような。リビングの床いっぱいに広げて眺めるもよし、折りたたみながら少しずつめくるも自由。

こんなん買うでしょ………

もうこの職人技としか言いようのない描きこみと、どこを切り取ってみても小さな「物語のワンシーン」が存在していることに驚嘆ですよ。人生のすべてがここにあり……(ねこだけど…)

 

11ぴきのねこシリーズ自体はたぶん子どもの時から読んではいたのですが、じつは子ども時代にはあまり思い出がなく…。だけど今読み返すと結構シュールでおもしろい。

11ぴきのねこは11ぴきもいるのに、個々のキャラの個性は特にない。〈11ぴきのねこ〉という集合体がひとつの目的(さかなをたべたい、心地よい家に住みたいなど)を達成するために動く。それも意思決定も根回しもコンセンサスも不要でただ欲望のままに。日々いろいろな人間の思惑にさらされている大人にとっては、そんなねこたちが癒しに感じられるのであった……

 

どんぐりむらシリーズ

作者さんはもともとサンリオでデザイナーさんを務められていた方らしく、細かいキャラの描写がとにかくかわいいんですよね〜。何回読んでも「こんな場面で◯◯くんがこんなことしてる!」みたいな発見がある。

図書館で借りると毎日1回以上読んでいるし、カバー裏に切り取って遊べるどんぐり紙人形が付いており、図書館本を見るたびに「切ってあそびたいよー」と何度もせがまれるので、思い切って既刊セットを買った。切り取ったどんぐり人形セットはリビングに散乱してえらいことになっているが(とくに『どんぐりえん』にいる小さいどんぐりあかちゃんたち……)ジップロックにがさっとしまっています。

 

ぐりとぐら

子どもと朝ごはんの量をもっと増やした方がいいかなーという話をしていたとき、「あした大きいたまごやき焼こっか」と話したら「うん!ぐりとぐらのカステラみたいにおおきいたまごでねえ!」といわれて、大きい卵=ぐりとぐらという記憶がちゃんと頭のひきだしに入っているんだ~と思ってかわいかった。

 

個人的にすきなのは『ぐりとぐらのかいすいよく』で、これはぐりとぐらが泳いでるところが見られるんですよ~!!! この絵がほんとうにかわいいいのでそのページばっかり見ちゃう。なにがかわいいかって、いつもは横顔で描かれがちなぐりとぐらが、泳いでる姿は「正面向き」なんですよ~~。このレア感。かわいいよ~~~。