耳をすますナツメグ

だれもみてない、ほら、いまのうち

ストーリー・オブ・マイ・ライフ 10月5日

 

以下の文章は物語の核心に触れる内容を含みますので、未見の方の閲覧はご注意ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小さな町でいっしょに育ったトーマスとアルヴィン。町の本屋の一人息子であるアルヴィンは少し変わりもので、トーマスが彼と友だちになったのは単に子どものころ、先生に言われたからというだけだった。

物語は、とうに成人してベストセラー作家として名を成しているトーマスが、アルヴィンの弔辞を書こうとしているところから始まる。

 

わたしが観たのは昼夜でトーマスとアルヴィンの役替わりになっている二公演。ただ、個人的には二回目に観た田代トーマス・平方アルヴィンの方が話がわかりやすいと思った。でもそれはもしかするとわたしの理解力の問題で、一回目は錯綜する時間/空間と、朗読される物語/台詞の区別に混乱して物語に入り込めなかったからなのかもしれない。ふたりは一度も引っ込むことなく、幕間も暗転もなく、同じ場所でふたりが思い出を語るしくみの物語だから。構成のむずかしさは、二回見ても整理できていない。というより、ふたりの間に何が起こったのかがわかっている二回目のほうがむしろ考える余裕がなかった。何度もリフレインするアルヴィンのことばに救われるトーマスと、トーマスのことばが「あること」で救われ、「ないこと」で傷つけられてしまうアルヴィンに、悲しくて仕方なくなってしまったから。

それでも、この話の二人の愛が恋愛に収束していかないところが好きだ。ただでさえ変わり者で、いじめられっ子で、母を亡くして、大人になっても生まれた家を出られないでいるアルヴィン。彼の世界はせまくて、友だちはトーマスしかいない。トーマスは大学に行き、文学の造詣も深く、ベストセラー作家として成功している。たぶんトーマスはそれを自覚して、おそらくはアルヴィンを少し下に見ている。

自分がいなきゃしょうがないな、と思っていたトーマスが、実は自分の心のいちばん柔らかい部分をつくっていたのがアルヴィンだと失ってから気づくのは、あまりにも苦しい。あたたかさのある演出と、演ずる人たちの可愛げと美しいハーモニーのおかげで、この芝居は心温まる少し切ない話みたいな雰囲気で幕を閉じるのだけど、アルヴィンの死の理由が分からないのって実は重大なポイントで、たとえばアルヴィンがトーマスに復讐したような感じにすれば全く別の話になるのだろうしもはやそれは『スリル・ミー』だ。あるいはゲイであり天涯孤独でもあるアルヴィンが生きづらさに苦悩して死んだのなら社会への問題提起なんだろう。でもこれはたぶんそのどちらでもない。

 

トーマスの頭の中ではアルヴィンはまだ生きていて楽しそうにいろんな思い出を語ってくれるけど、それはトーマスの頭の中にすぎない、ということを観客は知ってしまっている。だから、死というものをどう捉えるのか、死者との対話を信じるか否かで、この物語に救いを見いだせるかどうかは変わるのかもしれない。でも現実には死者は答えてはくれなくて、トーマスがこれからそうするみたいに、無数の疑問を自分の頭の中に問いかけながら一緒にと過ごした時間を繰り返し再生し続けるんだろう。大切な人との別離にさいして(死別に限らなくても)誰もが行っていることで、だからこそ胸を突かれる。

 

ミセス・ウェリントンの葬儀に忍び込むシーンは、思春期に差し掛かったふたりの死生観のちがいがはっきり現れている。死を人生の終わりだと理解しているトーマスと、ただ別の世界への旅立ちにすぎないと認識しているアルヴィン。マーク・トウェインの最後の一節を引用するところも大好き。でも、このシーンほど一回目と二回目で印象が変わった場面ってなくて、一回目にみたときはただかわいくて微笑ましい場面だったのに、二回目は……。このシーンでアルヴィンは「トーマスが自分だけのために書いてくれた弔辞を聞きたいのなら、死ぬしかない」というパラドックスに気づいてしまっている。そしてそれが、大人になってから離れて暮らしているトーマスのことばをどうしても聞きたくなったアルヴィンが、死を選んだ理由だったのかもしれない。そう思った瞬間、ほほえましく何気ない子どもの一言が、アルヴィンの未来を左右する決定的な分かれ道になってしまったのではないかとわたしたちは疑いはじめる。そして同時に、この記憶を思い返している当人であるトーマスが、いまや取返しのつかないその発言に思いを馳せていることに思い至り、胸が引き裂かれる。

 

ところで、もしかしてトーマスは、「引用する」という行為までもがアルヴィンに学んだものだったのかな。いやさすがに深読みしすぎか。でも、考えてみればすべてがアルヴィンの引用からスタートしていた「トーマスのことば」だったのに、アルヴィンの知らない本の一節から引用しはじめた瞬間、トーマスはアルヴィンと共に生きていた世界の外へ出てしまい、それがふたりだけの間にあったなにかを決定的に壊してしまった。 

トーマスが書けなくなったのは私生活のいろいろなことにかまけて自分にとって大切な存在のことを忘れてしまい、アルヴィンが天才で真の芸術家なのに自分は偽物で引用だらけのコピーだって思ってしまったからで、そういうところを考えるとこれって天才と努力家の物語でもあるのかなと思う。でもアルヴィンが橋から飛び降りたのはただトーマスのことばを書いてほしかったからにすぎないのに。だれかの引用ではなく、自分に向けて語りかけてくれていると思えるトーマスのことばを。自分たちだけの世界から生まれたトーマスの物語を。

トーマスの書いた『バタフライ』という名の短編小説を初めて読みきかせてもらったときからずっと、アルヴィンはトーマスの真のファンなのだ。それはアルヴィンの言動からインスピレーションを受けたトーマスの小説が、自分の存在や行動を受け止めて肯定してくれるものだと生まれて初めて感じられたから。だからアルヴィンは、自分の言いようによっては自分の側にトーマスを引き留めていられると理解しながら、彼を大学へ、外の世界へと送り出したのだ。それなのにトーマスは何かの授賞式のスピーチかしらないけど、「いちばん大切なのは本を買ってくれた読者のみなさん」とか言ってて、全然わかってなくて。

そういえば一回目の時、『バタフライ』を読んでもらったアルヴィンがどんな顔してるか、見るのを忘れた…。二回目のときはアルヴィンがどうなるのか知っていたので、人が生きるよろこびを見つけたその表情に胸がいっぱいになると同時に、彼が一生だいじに抱え続けるであろうその感情のはかなさを思わずにはいられなかった。「アルヴィンは今まで見たことのない目をしていた」。 孤独を抱えながら生きているアルヴィンがこの世界に生きる意味を見つけられたのだとしたら、このときだったにちがいなく、そしてそれは始まった瞬間から、いつか失われてしまうことが決まっているものだ。

そのことを考えているとすべての生のよろこびに終わりがある残酷さに泣きたくなってしまってどうしようもない。でも、だからといって、終わりがあるからといって意味がないわけではない、とわたしは思う。終わりがあるからって初めから存在しないのとは全然ちがう。

たとえば作家のトーマスがスランプに陥って「太陽が隠れ…」の次がどうしても書けなくなっていたのを、アルヴィンが自分のインスピレーションだったと認めたことで「雪がズボンの中で…」と続けられた。これ、アルヴィンが最初に「ズボンの中に雪が!」ってはしゃいで言うのが客席から笑いが起きるくらいかわいいシーンになってるのが効いてたのだな(と後から気づく)。観客がほっこりして思わず笑顔になったのと同じく、そのときのトーマスも胸にぽっと灯がともったようにアルヴィンの存在に救われていた。思い出がいつまでも心の中に残って、その先の未来のいちばん苦しい時間に、トーマスの苦しみを解放してくれる。もはや対話をすることのかなわない死者が、いつまでも記憶のなかで自分を救ってくれている。

 

 

ただでさえ台詞が多く二時間近く休憩のないこの芝居を、たったふたりの演者が交互に別の役をやるなんて尋常じゃないなと思う。じっさい、役のイメージと本人のキャラクターからしても、田代トーマス・平方アルヴィンで固定した方がいいんじゃないかなとは思った。でも、お互いに相手の役を演じることで理解が深まることもあるのかな。一観客としては、その瞬間ごとの感情表現に役者の個性が否応なく感じられるこの芝居、物語を一度知ってしまうと役がわりを見るのめちゃくちゃ面白いと思う。わたしもよくわかってなかった一回めの観劇を取り戻したいし、何回も公演を重ねたふたりをまた観たい……。

それに両役を見て、まりおくんは歌だけでなく朗読も演技もメリハリがついて上手いな、ということに気付かされたし、平方さんは悪意のない好青年な印象のトーマスで、たぶんご本人の人柄の好さが出ているんだろうなと思った。それによこしまな感想だけれど、平方トーマスはスーツ姿がとても素敵。朗読するときの右手で紙を持ち重心をやや左に置いた立ち姿がたまらなくかっこいい。あと終盤でカフスボタン外して袖まくりするところがあるのもいいですね。わたしは体格の良いスーツ姿の男性がカフスボタンを外すのがとても好きなんです。よこしまついでに言ってしまうと、ラストにトーマスから首にキスした後ちょっと照れた顔するのもとても良かったな……。

アルヴィンは、田代万里生が演じるのを観たい役なのかと言われたら決してそうではないのだけど、ただわたしはまりおくんの真剣な感情をまっすぐに他人にぶつける演技が好きなんだなあと再確認した。「滝に落ちていく枝を見ていた」のシーンで彼が「寂しくなる、」と言った瞬間、決定的な行動はまだ取っていない(取る寸前)にもかかわらず観客に「あ、このひとは。」と気づかせるところ。あとまりおアルヴィンは終始かわいくて、水分補給タイムまで満面の笑みで「ぷはー」とかいっててかわいい。まりおアルヴィンのパパが本屋の客のおじいちゃんに本を選んであげるエピソードも大好きなんだけど、パパの弔辞でもまりおアルヴィンはジェスチャーでそれをやってたのもかわいかった。