耳をすますナツメグ

だれもみてない、ほら、いまのうち

2019年5月〜6月に読んだ本(2)

マーガレット・アトウッド『またの名をグレイス(上)・(下)』

読了日:05月25日 

巧妙なキルト模様のように、当事者の語りの中に縫い込められた思想、あるいは偏見、あるいは思い込み。わたしたちは過去を語ることで(あるいは、あえて語らないことで)、初めて自身の奥深くに内面化された社会の声の反響に耳を傾けられる。自分たちの見たいドラマを消費したがる大衆の性を良い子ぶって責めてばかりいることはできない。ただ、人間の行為の理由にたったひとつの真実があると信じることも、わたしたちには最早できない。

読了日:06月04日

 

ミランダ ジュライ『最初の悪い男』
最初の悪い男 (新潮クレスト・ブックス)

最初の悪い男 (新潮クレスト・ブックス)

 

細かい描写がいちいちやたらとおもしろい。そしてそういう部分が小説のワンシーンにおける気分を醸成している。目をぎゅっとつぶって世界を耐えるのもいいけれど、いつだって傷ついて、いつだって滑稽な私たちが、拍手喝采のラストシーンに身を投げて抱きあえることほどの歓喜はない。

読了日:05月12日

 

スタンダールパルムの僧院
パルムの僧院(下) (新潮文庫)

パルムの僧院(下) (新潮文庫)

 

物語の登場人物と語り手との間の、突き放したようにも思える距離の遠さはなんだろうと思っていたのだけど、読書メーターの感想で内面描写の排除について指摘している方がいらして、なるほどなと思った。アクセルを踏んだと思ったらブレーキをかけ、かと思えばまた引っぱり込み、息もつかせぬ展開があったかと思えば、よくよく読まねば意味を理解できない酷く遠回しな描写があったりと、独特のテンポに振り回されたような読書だった。

読了日:06月04日

 

多和田葉子『言葉と歩く日記』 (岩波新書)
言葉と歩く日記 (岩波新書)

言葉と歩く日記 (岩波新書)

 

 「言語はべったりもたれるための壁ではなく、壁だと思ったものが霧であることを発見するためにあるのだから。」

頭で考えていることと言葉との間の距離に、時々濃霧の中で立ちすくむような気持ちになる。言葉は自然と運動するから、自分でも知らなかった場所へ連れて行き、知らなかった光景を見せてくれることもある。そうした幻想はぬるい心地よさを与えてくれるけれど、夢から醒めたときの恥ずかしさは堪えようもない。

多和田さんは一つの言語に支配される危うさに懸念を示し、他の言語を学ぶ意味の一つはそこにあるとする。

読了日:06月13日

 

『歴史としての身体―ヨーロッパ中世の深層を読む』
歴史としての身体―ヨーロッパ中世の深層を読む (叢書ラウルス)

歴史としての身体―ヨーロッパ中世の深層を読む (叢書ラウルス)

 

中世ヨーロッパの人々の内面における身体・感情の位置づけについて、さまざまな項に沿って広く浅く概観されている。気になる項目についてより深く知りたいと思えば物足りなさはあるが、抑制と発散を行き来する中世ヨーロッパ人の意識を推し量ることができ、ミニアチュールのような今日からはプリミティブにも思える図版が多数収録されているのは興味深かった。個人的には死の舞踏の実演についてが気になるところ。

読了日:05月06日

 

『偉人たちのあんまりな死に方』
偉人たちのあんまりな死に方 (河出文庫)

偉人たちのあんまりな死に方 (河出文庫)

 

ふらりと初めて入った本屋で衝動的に手に取った本。ツタンカーメンからアインシュタインまで、歴史の授業の余談みたいなちょっとしたエピソードがポップに語られている。

古典文学を読んでいると二言目にはすぐ瀉血をしようとする人びとが出てくる。当時としては真剣な医術だったにせよ、現代の感覚からすればどうしても珍妙に感じてしまうのだけれど、この本を読むとリンカーンなどはまさにこの瀉血の被害者といって良い。

とはいえわたしたちが真剣にとりくんでいる治療法も未来からすれば哀れみの種かもしれず、諸行無常の思いにとらわれる。

読了日:05月05日



読書メーター
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▼2019年5月

読んだ本の数:6冊

読んだページ数:1618ページ

▼2019年6月

読んだ本の数:7冊

読んだページ数:1924ページ