耳をすますナツメグ

だれもみてない、ほら、いまのうち

BLUE/ORANGE 4月27日夜

舞台はロンドン、精神病院の一室でたった1日の間に繰り広げられる三人劇。登場人物は病院患者のクリス、若く理想に燃える担当医師のブルース、そしてその上司であるロバート。

 

演劇情報には相変わらず詳しくなっていかないわたしだが、成河さんが出ている作品は、面白かろうと面白くなかろうと/好きだろうと好きになれなかろうと、何かしらの濃い演劇体験ができると信じられる。だから、ふだん見ない雰囲気の作品でもなんとかして観に行こうと思う。

この公演に関しては東京のみだったので諦めていたけど、直前に都合がついた。こういうこともあるので、直前にチケットが買えるのはありがたい。わたしが普段みている舞台は直前になると全席完売になっていることが多いから。

というより、もちろん映画みたいにパッと行ってさっと観られるのが一番いいのだろう。でも実際、わたしもそういう買い方をすることはあまりないという自己矛盾…まあ、そのあたりのことはまた別の機会に。

 

何度も観るに堪える芝居

ディスコミュニケーションという意味では悲劇であり喜劇にもできる芝居。何回も公演しているうちに、なまものとしていくらでも形を変えていく可能性のあることが面白かった。

彼の言う「ブルー」という言葉の意味するところがわたしの思う「ブルー」と一緒かどうかわからない、というのがたぶん出発点。高校のときの現代文の授業で、イギリス人はわたしたち日本人の茶色を橙と呼ぶ、という話があった。文化が変われば色の定義さえ変わってしまう。それが精神病患者なら? 真っ白な壁に囲まれた、同じ空間にふたりきりでいてさえ、同じものを見ているか分からない。そういうことに改めて気づくのが第一幕で、似たような文化的背景で似たような価値観のもと努力してきた、同じ学会の同じ白人の同じ職場の二人が、果たして同じことを考えるのか? という疑問符が第二幕だった。

三人の間の共感・断絶がめまぐるしく変化していくのが、しんどいくらいに面白い。ついていくだけでも、ものすごい体力がいる。ほとんどなにもないと言っていいセットなのに、劇場の構造をフルに使った演出の工夫。観ている側にも想像力を要求されるから、脳を常に刺激されている感覚。

ロバートとブルースが自分たちの差別意識を頑として否定する議論の場面が印象深い。まさに丁々発止の台詞の応酬、演劇スキルの格闘技を堪能することもできるし、口先では否定する自分の深層心理に、ひとはどこまで自覚的でいられるか、という問いを生身の人間の姿から推し量るエンターテインメントでもある。芝居って本当に趣味が悪くて最高の娯楽だ。

 

観ているわたしの醜さをあぶりだしてくる作品

終わった後インターネットを見ていて、初演で成河さんがクリス役だったことにびっくりした。ブルースをやってる成河さんの、まじめすぎる・頭でっかち・患者に深入りしすぎる精神科医・でも実は自分が一番潔癖で傲慢・みたいな、初対面からなんとなく仲良くなれなさそうな嫌な印象を与えるキャラクターがしっくりきすぎると思っていたので(褒めています)。 初演みたかったな〜。章平さんのクリスの、なんとなく可愛げがある感じも、かえって怖さを醸し出していたけれど。

結局どこまでが異常なのか、というのを投げかけるところがこの舞台のテーマとわたしは受け取った。けど、章平さんのクリスを見ていて本当にわからなくなった。彼をどう判断していいのか。(と書きながら、人を判断・評価するという傲慢な行為を自然とおこなっている自分に気がつく。)彼は、薄気味の悪さや生理的嫌悪感みたいなのはあまり感じさせないし、最後まで見たらやっぱりちょっと彼が壁の外の世界に出るのは怖いなと思う、でも彼の台詞にはなんだか説得力があり、知識人のふたりよりもずっと正論を言っていると感じるときもある。

ブルースがクリスから、「おまえはしゃべりすぎる」って言われたときの胸のすくような感覚。でも実はそれと同じくらい、ブルースがクリスに、おまえのことずーっとがまんしてた、って言いはなったときもすごくスッキリしてしまったのだ。

たぶんわたしはクリスみたいな人のことを「わたしとはちがう人」として距離を置いてしまっていて、対等に見てはいないのだろう。ブルースのことは「なんかやなやつだよね~」とはっきり言えるけど、クリスのことは「うっとうしい」と思っていても口に出すのははばかられる。そういうわたしみたいな人間と比べれば、ブルースは徹底的にクリスに向き合おうとしているんだよな……。そしてその試みはことごとく打ちのめされる。わたしはその結末がこわくて向き合わないのだけれど。

 

ただ、ただワンシーンだけ、たとえ分かり合えなくても、言葉も心も通じなくても、思いやることができるんだなと思えたシーンがあって。そこがわたしは心底尊い場面だと思った。そんなことがあるなんて知らなかったし、それは分かり合えない他人と向き合うことを怖がるわたしにとっては、とても信じられないことだから。

 

ところでこれ、もしかしてやりようによってはクリスが精神病なのも全て嘘みたいに演じることもできるのかな? そういう視点で見てなかったから分からないけど、もしかすると3人の「嘘」の分量が、演者によって回によって演出によって変わっていくものなのだとしたら面白そう。3人というのは濃密なパワーバランスを観客が俯瞰できる、ちょうどいい人数なのかもしれない。