耳をすますナツメグ

だれもみてない、ほら、いまのうち

ミュージカル〈マリー・アントワネット〉1月12日夜公演 感想

本日のキャスト(敬称略)
マリー・アントワネット花總まり
マルグリット・アルノー昆夏美
フェルセン伯爵:古川雄大
ルイ16世佐藤隆紀

 

わたしはこの作品でマルグリットが最後に選択する行動の動機について、根本的に勘違いをしていたことに今日気が付いた。

エベールとオルレアンを告発したマルグリットは、自分の行動を悔いて自分を責め続けている。彼女が愛して敬うようになった女性なら、報復などしないはずだ。彼女なら敵さえも許したし、自分を死なせた人たちを恨まないようにと望んだ。けれどマルグリットはエベールたちを告発せずにいられなかった。その行動は、やっぱり彼女が最後まで信じ込んでいた正義のためかと思っていたけど、ちがった……。それはマルグリット自身が生き残るためだった。エベールが自分の味方などではなく、利用していたただけと知ったから。自分が殺される前に殺す。それが恐怖が支配する国で生き残る唯一の術。

マルグリットは、暴力の連鎖が正義ではないと最早知っている。自分の負った罪以上の罰を受けて処刑された王妃が、だれを恨むこともなく、怒りにさえも英雄的な誇りで打ち克って、最後にあれほど穏やかな笑みでマルグリット自身に感謝の念を告げたのだから。マルグリットは正義のために告発したんじゃない。ただ生き残るためにそうしただけだ。だから自分の行動に絶望し、真実の正しさを知ったのにそうできない自分の命に苦しみ続ける。

 

「明日はしあわせ」の歌を歌いながら、マリーとマルグリットが目を合わせる瞬間が苦しい。とりわけ今日は痛ましいようなせつなさを感じた。マルグリットが失った両親の愛を、アントワネットは突然のように持っている。幸せがどんなものであったかを思い出したマルグリットの目は、涙を滲ませ問いかけている、同じ幸せを共有していたはずの自分たちがどうしてこんなに違ってしまったのかと。「何故彼女、わたしじゃない」というのも、彼女たちの親の愛も含め育った環境すべてへの喪失を嘆いているように思えた。マルグリットの心の底を垣間見て手紙を預ける王妃は、そのとき初めて、自分の故意か否かに関わらず他人の幸福を奪ってしまった事実に気づいたように思う。「憎しみの瞳」では「わたしのせいじゃない」と言いきっていた王妃が。罪滅ぼしのメッセージとして、王妃はかわいそうな友人に信頼という絆を授けた。孤独を癒すのは誰かから与えられる信頼だと、彼女は既に知っているから。

「孤独のドレス」は一幕のまだ盲目でいられたときのマリーの独唱なのだが、改めて聴くと、彼女は自分が死ぬ間際に受ける仕打ちをこのときすでに経験しているかのように感じる。家族や友人や愛する人に恵まれ全てを手にしているのに、「この人生すべてを引き換えにしてもいい」とまで臨んだたったひとつのものが得られないアントワネットと、食べ物も住む場所も家族すらも失い一人ぼっちで生きていたマルグリット。客観的に見てどちらがより可哀想だとか、正義はどこにあるのかといった裁きとは全く別の次元で、ただ孤独に生き、孤独に死ななければならないという一点だけのために、二人の精神はひととき触れ合うことができたのだと思う。

 

 

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