耳をすますナツメグ

だれもみてない、ほら、いまのうち

ミュージカル〈マリー・アントワネット〉11月10日昼公演 感想

本日のキャスト(敬称略)
マリー・アントワネット花總まり
マルグリット:昆夏美
フェルセン伯爵:田代万里生
ルイ16世佐藤隆紀

 


4回目のMA。観る度に違うので観に行くのがやめられない。帝国劇場周辺の街並みはこの季節の空気がとても似合って、お気に入りのワンピースを着て歩く足取りも軽やかだ。帰り道には足元の石畳を見つめながら「パリのごつごつした石畳の上、マリー・アントワネットは荷車に乗せられ罵倒する市民の間を引き回されたのだ……」という暗い気持ちにとらわれるのだが。

 

さて今回は初めての花・昆の組み合わせ。今日の白眉はふたりの関係性が変化する「明日はしあわせ」の歌のシーンで、マルグリットもマリーも涙ぐんでいるのを初めて見た。心が通じ合っていた? そういう言葉で表現するしかないのかもしれない。あの瞬間あの二人の間だけに生まれた、入り組んでいて暖かい感情。いまおかれた立場も、この先の自分たちがどうなるのかも、そして自分たちがどうしてここまでちがってしまったのかも、すべてその瞬間に悟ってしまったかのように、マリーとマルグリットは一瞬目を合わせて、そしてふと我に返って目を逸らす。わたしがなんと呼べばいいのかわからない感情が、この非日常空間であるがゆえに現出していた。同情と呼ぶには親しすぎ、愛と呼ぶには遠すぎるその感情が。

このシーンがあったからこそ、その後のマリーがマルグリットに手紙を渡すのが自然に感じる。自分の親愛の情を示すために自分の大切なものを手渡す、という行為。この人は確かにマリア・テレジアの娘なのだと思った。何の含意もなく他人の心を自分のものにできてしまう人。相手への親愛の情を示すために、自分の最も大切なものを手渡す、という行為を、おそらくは彼女自身の無意識の習慣だから、実行したにすぎなかったのだ。この場面においてはそれが、彼女自身とその家族の生命を左右するにも等しかったのにも関わらず。

それが裁判でのマリーの「わたしの罪は…人を信じすぎたこと」という言葉にも繋がっている。マルグリットに裏切られて革命政府に手紙を渡したのだと思いながら死んでいったのだったら辛いなとわたしは毎公演思っていたけれど、今回に関しては、マリーはマルグリットを最期まで信じていられたと言いきれる。だって幽閉された塔の一室で、幼い日の彼女の王妃への恨みは昇華されていたのだし、今日のマルグリットなら、彼女を裏切るために手紙を渡したりしない。彼女は彼女のするべきことをしただけ。裁判の場面でも、前までアントワネットは表情を変えないよう努めていたように思うのに、今日はめちゃくちゃ泣いていてびっくりした。ジャック・エベールによる酷い中傷への怒りと悔しさがあったとも思うけど、マルグリットが王妃の手紙を預かった事実を伏せて彼女をかばったときから、もう既に涙ぐんでるように見えたのは気のせいだっただろうか。

 

万里生くんのフェルセン、前はひたすら歌のうまさに聴き惚れていた気がするのだけれど、今日タンプル塔で恐怖のあまり白髪になり「わたしを見ないで」と泣くマリーを、抱きしめながら髪にキスしたところでものすごくぐっときてしまった。このひとなら、マリーがどんなふうになってもそれをそのまま愛してくれるだろう。

現実の見えていないマリーに対して、古川さんは心配のあまりいらだった素振りを見せることがあったけど、万里生フェルセンだと困ったように微笑むことが多かったのがふたりの対照を示していると思う。ヴァレンヌの逃亡で国王に別れを告げられる場面も、古川さんは十字を切って引いて行くけれど、万里生くんは怒りもあらわに走り去る。前者なら「異国の王子様とお姫様の恋愛」で、後者は「ひたむきな愛」だ。マリーの一幕のソロで、もし貧民に生まれていたとしても彼は私を愛していたかしら…という歌があったと記憶しているけど、万里生くんだったらそうなるかもしれないと思った。

なんといってもマルグリットを見つけ出した男だ。彼は宮殿にマルグリットが乱入してきたときから彼女のことを見て心を痛めていたし、貴族から見たらボロを着た貧民なんて見分けつかないだろうに、きちんと顔を覚えて道端で逮捕されそうになってるところを救ってやる。人を身分や見た目だけで見ずに中身で見ている人間なのだ。マルグリットが王妃の部屋係になった後、「出世したもんだな」と言われて「でしょう?」とうれしそうに言うマルグリットはかわいかった。それはフェルセンも「君は本来は人を憎むような人間じゃないんだ」と言ってやりたくなることだろう。

そうした部分からも、マルグリットがフェルセンに出会って彼の目に映る自分を意識するようになり、マリーへの感情に変化を生むきっかけになるという感情の移り変わりが見えた。これはマリー・アントワネットが自分を知る物語であると同時に、マルグリットが自分を知る物語でもあったのだ。マリーが最後に荷車から降りるとき転んで、マルグリットに助け起こされて言う「ありがとう」は、もはや許してるとか許していないとかでさえなく、お互いの救いの瞬間のようだった。

そしてその後のマルグリットの抜け殻のような姿は、ひとりの人間の喪失を味わっている者の顔。ラストの合唱も、ミュージカル的なエンディングというより、まだお話しの続きであったように思う。というのはその歌いだしでは、マルグリットが、マリーの言い遺した言葉にも関わらずエベールとオルレアンを死に追いやってしまったことの闇を抱えたままでいる表情だったのに、マリーがまうしろに現れて歌い始めたことで表情ががらりと明るくなったから。今日の席は一階席のど真ん中だったから、ラストシーンでマルグリットの真後ろ、彼女より高い位置に立つマリーの姿がマルグリットと垂直に重なって見え、もしかするとあれはマルグリットの精神世界だったのかもしれないと思った。

 

 

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