耳をすますナツメグ

だれもみてない、ほら、いまのうち

2018年5月に読んだ本

毎年5月は仕事が忙しくなるのと気温が上がり始めるのとで、土日はぐったりしている。一日中家でごろごろしていられる時間は贅沢だが、生理前後は血のめぐりが悪いのか頭が痛くなることも多い。ひとりで生活するとは自分の身体に振り回されることなのだろうか。この季節は面倒くさくても一旦外に出て、公園の日蔭でセブンイレブンのコーヒーを片手に風を感じながら読書するのが一番はかどるかもしれない。

 

5月の読書メーター
読んだ本の数:7
読んだページ数:2307 

 

カフカ短篇集 (岩波文庫)

カフカ短篇集 (岩波文庫)

 

連休中、一緒にいた人と駅で別れて、帰りの列車で読むものがないことに気づき閉店間際の書店に駆け込み目に入った本を購入。短編集の感想をみじかくまとめるのは難しいし、それがカフカともなると余計無理だから何もメモが残っていないのだが、改めて見返すと5月の読書傾向は自然とカフカの関連本を手に取っていた気もする。

読了日:05月15日

 

 

 花田さんご自身が敬愛されるガケ書房を初めて訪れたときのことを『本のセレクト、並び、居心地、そのすべてが「この店は私のためのものなんだ」と自分に確信させた。』と振り返る一文が本文にあるが、わたし自身、彼女が店長を務める日比谷コテージを訪れたときに同様の錯覚を抱いた*1。本屋という場所づくりは書店員さんの経験とスキルを尽くした「プロの仕事」なのだなと気づかされる。それは世の中に数多ある他のすべての「仕事」と同じように。世の中に本物というものがあるとしたら、人の心が動く瞬間こそがそれだと信じているわたしは、仕事というものに向き合うエネルギーをこの本から受け取ったのだった。

読了日:05月15日

 

 

鼻/外套/査察官 (光文社古典新訳文庫)

鼻/外套/査察官 (光文社古典新訳文庫)

 

 『鼻』『外套』は落語調の翻訳、『査察官』はアンジャッシュのコントみたいで爆笑に次ぐ爆笑。なんだってこんな珍妙な話が思いつくのか?解説を読むとゴーゴリ自身の人柄も生涯も随分奇矯なものだったようです。意味があるんだかないんだか分からないところへ、なんだか意味を見出そうと読んでいるのに、最後にはなんだか作者がぷいと背中を見せ行方をくらませる、そんな狐につままれた感があります。
読了日:05月20日

 

わたしの名は赤〔新訳版〕 (上) (ハヤカワepi文庫)

わたしの名は赤〔新訳版〕 (上) (ハヤカワepi文庫)

 

 読了日:05月12日

わたしの名は赤〔新訳版〕 (下) (ハヤカワepi文庫)

わたしの名は赤〔新訳版〕 (下) (ハヤカワepi文庫)

 

 その絵を同時代人の目で、あるいは描いた人自身の目で見ることができたならと思うことがある。過去の絵を過去のものとして見るときには理性の帳が掛かり、同じ時代に同じ文化圏の内で享受できたような感動を覚えることはできないという悲しさ。けれども、偶像を禁じられたがゆえに観念を示す記号と化した細密画であったとしても、それが目の前に色彩や線を豊かに描き出す限り、そこから喚起されるイメージは豊かに内面に湧き上がる。そしてそれは、翻訳され原文からすっかり変わった文章に触れるという体験にも言えることなのかもしれなかった。
読了日:05月20日

 

 

エクソフォニー――母語の外へ出る旅 (岩波現代文庫)

エクソフォニー――母語の外へ出る旅 (岩波現代文庫)

 

 複雑化する世界で私という個であろうとすること。出来合いのどこかに所属するよりも、泳ぐように移動しつづけながらその狭間に落ちていくこともできるのだ。早期の外国語教育などにもわたしは懐疑的だったが、複数の言葉を学ぶことが言語を豊かにするという希望を見ていたいと思う。直接的には、ドイツ語にたいする関心も深まった。頭の中で次々とzugがきらめくように動き、繋がり、読み返すたびに別の面が出来上がっていくような、刺激的な読書でした。
読了日:05月22日

 

 

マイケル・K (岩波文庫)

マイケル・K (岩波文庫)

 

 存在そのものが意味なのだ。自分で見つけた場所で眠り、自分の手で得た作物を食べて命をつなぐ。人間に生まれても人間らしく生きられる場所がどれだけあるだろう。それはあまりに理想主義的かもしれない。個の自由は追求しながら、暴力や略奪からは解放されていたいなどと。実現のために進むのは困難だ。どんなふうにしても生きていけると思っていたとしても、実は誰かに生かされているから。世界にたった一人だけ取り残されたのならと思うことがある。あるいはこんな意味のない服従に、本当はなにか目的があるのかもしれないなどという空想。
読了日:05月31日


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