耳をすますナツメグ

だれもみてない、ほら、いまのうち

2017年レ・ミゼラブル観劇の思い出(近況報告)

9月に最も印象に残っている出来事はジャベールの前で手をひろげるようにして彼を逃がした福井晶一さんのジャン・バルジャンの歌声がひどく優しく、包み込まれるようなあたたかさで涙を誘ったことだ。

 

 これまでレ・ミゼラブルを観たことはあったが、これほど連続で舞台に通ったことはなかった。インターネットでミュージカル関連の情報を集めるようになってからというもの、「1つの公演に何度も通うのは特殊なことじゃない、ふつうのことなんだ」という意識の芽生えが起こり、気づいたらチケットの抽選で「複数公演エントリー(何度も観に行きたい)」を選択してナチュラルに第19希望くらいまで入力している自分がいる。会社員の安定収入というのはそれでも生活が成り立ってしまうのが恐ろしいところである。

 

 レ・ミゼラブルを何度観ても最初に観たときと変わらないのは、ほかのどのキャラクターよりもジャベールのことが気になってしまうという事実である。

 

突然ですが、たった今急遽考えた「わたしがジャベールを愛する理由」を以下に述べます。

 

 理由1 得体の知れない過去の影を背負っている

ファンテーヌが死んだ病室で、ジャベールとジャン・バルジャンが対決するシーンでちらりと言っているらしいのだが、どうやらジャベールは監獄育ちらしいのである。「らしい」というのは、歌詞などを読むと書いてあるのだが、実際にわたしが観劇しているときには、バルジャンとジャベールが別の台詞を重唱するため、そのジャベールの台詞を聞き取れたことが一度もないからである。

 

 理由2 登場すると圧倒的な存在感(流れている音楽のテンポ変化)により、ちがうところを見ていても絶対気づいてしまう

わたしは勝手に「ジャベールのテーマ」と呼んでいるのだが、「チャッチャッチャッチャッチャッチャッチャッチャッ」と縦ノリになりその場の空気をぴりっとさせるあれである。

 

 理由3 まじめ一徹、職務に忠実

一時ジャベールの上司であったバルジャンによれば、彼は「職務の奴隷」なのだそうだ。街のそこかしこに顔を出し、治安維持に奔走する。やっと一日の仕事を終えた晩、セーヌ川に掛かる橋から星を見上げて誓うのは、過去取り逃がしたたったひとりの罪人を捕らえること。ともすれば真面目にやるのがカッコ悪いという空気の蔓延しがち世の中、やっぱり輝いて見えるのはひたむきに自分の仕事に打ち込む人の姿であろう。

 

理由4 清潔感のある服装

原作でも繰り返し描写されているように、常に「フロックコートの釦をきっちりと留め」るのが習慣となっているジャベール。鍛え抜かれた胸板に礼儀正しく並んだ金色の釦がキラリと輝くさまには、思わず目を奪われる。

 

 理由5 ギャップ萌え

こんなジャベールだが、原作ではファンテーヌの病室にバルジャンがいると知り、動転して釦を掛け間違えたりしている。なんともかわいらしいではありませんか。ちょっと原作を読み返したくなってきたのだが、手元にないのでできないのが惜しい。

なお舞台版でも、下水道を出てきたバルジャンを待ち構えるタイミングで、きっちりとした制服の着こなしは失われ、シャツの胸元まではだけて、普段のジャベールを知る者からすれば目も当てられない惨めな姿である。

 

 ちなみに、ミュージカル版では浮浪児にナメられ、策を凝らして学生のバリケードに潜り込むもあっさりと見破られるシーンがある。エポニーヌがマリウスとの雑談中に放った「あのおまわりはいつもドジ」という台詞は強がりかもしれないにしても、取り調べの真っ最中にうっかり関係者を見逃してしまうのはいただけない。だが、このようなうっかりミスがなければ彼はただの法に忠実な小鬼にすぎないのであり、決して愛されキャラにはなりえなかったであろう。

 

 理由6 不器用さ

あまりにも、あまりにも真面目なのである。彼の人格の真っ直ぐさは、生き方ばかりでなく死に方にもまた現れている。彼の思う神とはいったいなんだったのであろうか。よくわからないのは、彼が法律のことはあれほど厳格に守っていたのに、自殺してはいけないという神の教えはあっさり捨ててしまうということだ。ミュージカルを初めて見たとき、あまりにも分からなかったのできっと原作に答えが書いてあると思い、読んだのだが、むしろジャベールの内面描写に関してはミュージカルの方が語られている情報量が多く、単純化されていてわかりやすい。原作を読んでわかったのはバルジャンがめっちゃ偉大な少年漫画的ヒーローだということであり、ヒーローにとっては過去に一度倒した敵というのはそれほどの関心を払う対象ではないのであった。

 

 しかし、この物語にいかなる形式でも触れるたびに毎度つよく感じるのは、「ひとを愛する」ということの絶対的な尊さだ。そう考えたとき、ジャベールはといえば、神を愛することも、人を愛することもなかった人物なのだった。そうであるがゆえに、彼は「敗者」となったのだろうか。

 そう思う一方、ミュージカル版で、散り果てたバリケードへ松明を手にバルジャンを探しにやって来るジャベールの姿にもまた、愛に似たひたむきさを感じる。たしかに価値のない無分別なそれとは一線を画したものだと思うのであった。