耳をすますナツメグ

だれもみてない、ほら、いまのうち

2024年3月に読んだ本

月末にドドドーとやってきた仕事と体調不良が生活を浸食し、本を読むための精神の余白が失われた月だった。夜中に本棚の前にいたら、ふと買ったまま積んでいたヒエロニムス・ボスの画集の存在を思い出し、思いのほかじっくり見てしまう。そうそう、わけのわからない現代社会に疲れたときには、わけのわからないモチーフの中世北方ヨーロッパ絵画の世界をみることで癒されるに限るよね~。

 

 

読んだ本

大仏ホテルの幽霊

カン・ファギルの短編集『大丈夫な人』に収録されている『ニコラ幼稚園』についてはもちろん印象に残っていたから、この本を見かけたときに読まないではいられなかった。『ニコラ幼稚園』を悪意の詰まった話として書こうとして、書きあぐねている作者が、縁の糸を引き寄せたかのように「大仏ホテル」という幽霊ホテルにまつわるゴシックホラー風味な逸話を聞くことになるという話。先の読めない不思議な構成と奇妙などんでん返しは意外にもエンタメ性が高く、つい引き込まれて一気読みしてしまった。

なによりも最後まで読んだとき、「恨」(韓国語では復讐を誓う怨嗟、だけではなく、もっと前へ向くベクトルを内包した概念)を抱えながらヨンヒョンが生き残った、という結末のつけ方に感動が湧き上がってきた。シャーリィ・ジャクスンの『丘の屋敷』を明らかにモチーフにしており、表面上の結末は『丘の屋敷』を裏返しているように見えつつも、自分で運命を決断するということに重きを置いているという本質は共通させているというところが「その先の物語」のあり方として良いな、と思う。

とはいいつつ、隠された「恨」について思いを馳せてしまうところもあって。一番気になるのは憎んでいる母を介護するボエおばさんだ。そういえば『丘の屋敷』の主人公も母親を介護しているみたいな話でしたよね。ただボエおばさんは母親への憎しみを共有できる親友がいて、孤独ではないし、母親をパク・ジウンと呼ぶことで切り離せている、のかもしれない。

『大仏ホテル』の後に『ニコラ幼稚園』を再読して、カン・ファギルの作品に何度か登場するモチーフの中でわたしの惹かれるものとして「私が、そうなれなかった(同性の)他人に対する、羨み、憎しみ、恨み、そして憧れと期待」があると思うようになった。母親と娘というのは一般的なものだが、歳の近しい友だちのような横の関係もある。だがこの本で一番特徴的なのは、ほとんど偶然に近い、地縁といってもよいつながりだけがあり、血縁もなにもなければ年齢も属性もまったく違う、ただ女であるということが共通しているだけの他人、そんな人間に対してすら浮かぶ複雑な感情のことだ。シャーリィ・ジャクスンしかり、文榕翁主の生き残りと称する女のエピソードしかり…。女であるというだけで、それが生まれる仕組みが存在している、と語っている気がするのだ。

というのはほとんど仮定だけれども、とにかくカン・ファギルの取り入れるモチーフにわたしのツボをつくものがいくつもあるのは絶対的にたしかなので、まだまだこの先も読み続けていきたい著者だと思う。

 

 ばにらさま

ここに書かれているいくつかの不幸、というか、ただ自分なりに生きてるだけなのにどうしたって直面してしまう息苦しさ、みたいなものについて、個々のそれらの出来事自体はまったくわたし自身が経験した人生と似たところはないのに、リアルな手触りでその胸の上を圧されるような圧迫を感じられること、一方でそれをどこかエンターテインメントとして消費してしまう後ろ暗い楽しみ、という大きな小説の醍醐味を味わえる作品集だった。

とはいえ決して悪趣味というわけではなく……うーんなんというか不思議と読むよろこびを感じられる小説なんだよなあ、と思っていたら三宅香帆さんの解説がものすごく言いえて妙で見事だった。

山本文緒さんの小説、もっと早く読んでいればよかった…という思いの一方で、いやいやわたしがこういう現実というものを小説を通してみてみようと思えるようになった今だからこそ出会えたのだ、という気もする。

 

死にがいを求めて生きているの

「螺旋プロジェクト」という、複数の作家が共通の設定のもと古代から近未来までを舞台とした小説をそれぞれ同時並行で同じ雑誌で連載する――という企画の存在を耳にして、何それおもしろそうすぎる!とひとまず一作読もうと手をだした。

ただ、これは連載を追いかけながら読むのが一番楽しめるやつですね。今回は最初に読んだ作品だからというのもあり、なにが共通モチーフなのかみたいなものは当然ながらそこまでピンときていなくて。

じゃあ螺旋プロジェクトのうちの一作であるというのを省いて、単純に朝井リョウ氏の作品として読むと、正直ちょっともったいないのでは?ともやもやしてしまった。もちろん彼の持ち味のちょっと意地悪な目線で若い子の欲望を見つつ、ただ表面に見えてるソーシャルな面だけでは語れない個々の心理に寄り添っていくみたいな書き込みがめちゃくちゃおもしろいのは確かなのだが…中〜終盤にかけて本来ぐっとストーリーテリングにアクセルかけて踏み込むべきであろうところで、同じテーマの繰り返しが多くて間延びして感じられてしまった。あと自我に飢える若者の解像度の高さに対し、持たざる中年男の解像度が明らかに低いなあとか…

結果、「平成」を舞台にした「対立」の作品であるがゆえ伝えたかったであろうはずのメインテーマがぼやけてしまったのかなーと。(少なくともわたしは読了後、「このあとこの人たちが具体的にどうしたかを小説として読みたいのに…」と感じてしまった)たぶんこれは、同時連載で同じ長さで同時に終わらなければならないプロジェクトの制約ゆえだと思うんだけども……。そして中盤まではめちゃくちゃわくわくして面白く読んでいただけに余計惜しい気がした。

 

カラフル&モダンポップ 海外みたいにセンスのある部屋のつくり方

めずらしく実用書。3月のわたしの欲望、YouTubeでよくみているオタクのお姉さんが本棚紹介の動画をアップしているのを見て、好きな漫画や小説とともに作品に関連するグッズや世界観を表現するデコレーションをしていたのがものすごーく素敵で刺激を受けてしまい、部屋をかわいくしたいよーという感情が止まらなくなっていたところだったのです。そこで、本棚をおしゃれにするためのテクニックがあるという情報を得たこの本を。

インスタグラムでインテリアを検索するとまず流行りの色とモノのごく少ない家が出てきてしまって、それができない場合はどうしたらいいんですかね…?とあきらめがちになってしまうけれど、この本では、流行りのテイストでなくても自分の好みのインテリアイメージは世界を探せば存在しているし、それを分析して再現すれば満足度の高い部屋にできる(意訳)、ということを書いてくれていたのがわたしとしては一番心強かった。

インテリアをええかんじに「見せる」技術はあるよというのが分かったうえで、結局どこまでお金をかけるのかとか、自分の生活と精神のためにどこまで実行に移すのかみたいな話になってくると、答えは自分(と同居人たち)に問い続けるしかないんですね。ファッションに似てその時々の自身を映す鏡として変容しつづけるものであり、だけどそれ以上にプライベートで個別のもの。だからこそ人の部屋を見るのって面白いのか〜という納得をした。